4つのテーマ別ブログ記事の更新情報に加え、テーマ外の脈絡のない内容をつぶやきのように綴っています。以前のタイトル「意味の周辺」は2011年12月以降、http://imimemo.blogspot.com/ にて更新を続けています。「意味の周辺」該当記事に対するコメントはhttp://imimemo.blogspot.com/ の該当記事に投稿して頂ければ幸いです。

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つぶやき

(映)像のない夢のことなどあれこれ

ここ数年来、夢を見ることがあればそれは像のない夢であることが多い。「像のない夢」、あるいは「イメージのない夢」ではうまくゆかないが、「映像のない夢」でネット検索するとかなり多くのサイトがヒットする。多くはブログのようだが、興味深い記述も見つかりそうだ。トップの方には音だけの夢の話がいくつかあり、精神科のサイトには失明者の見る夢が像のない夢に変わってゆくことなどの記述が見つかる。ただ、今は多くのサイトを探索するゆとりはなく、自分の、この種の夢について考えるのみである。

私の場合、音が聞こえた夢は経験はあるにはあるが、これまでの半生を通じて多くはない。また失明もしていないので、失明者のケースには当たらない。感情だけの夢という記述もあったが、それに近いのかもしれない。

「感情だけの夢」に該当する場合もあるが、感情というよりも想念、観念、意味、というか、要するに目覚めているときの意識の流れ、思考の流れと同じようなものが、夢として、続いているといった方が適当かもしれない。言いかえると、目覚めているときに意識に上り、思ったり考えたりすることが、眠っている間も無意識で続いているために、それが目覚める間際に夢のように意識に上ってくるということではなかろうか?

意味、内容をしいて言えば、多くの場合は過去の後悔や反省、といった、楽しくはないことばかりである。人生のいくつもの段階で多くの人が経験することでもあろうが、それにしてもレベルもスケールも低く小さいことは恥ずかしい限りだ。そんな内容のことはもう書き続ける気はないが、改めて無意識の心理や構造について興味が湧いてくるということは言える。フロイトやユング、特に後者の本を改めて読み直して見たい気もする。もっと新しい精神分析学者、フランスの精神分析学者の話はうわさ程度にしか知らない。難しそうで、あまり気乗りがしない。ユングの『心理学と錬金術』は、過去に字面だけを読み通したという程度の記憶がある。今読み直すとどうだろうか、という気がするが、さあ、実現するかどうか。


数日前から、かつての話題の書で今も話題の書であり続けると思われる『唯脳論』を少しずつ読み始めた。あまり引き付けられる主張内容と文体ではないのだが、テーマ自体は重く興味は持てるし、内容は押さえておきたいと思う。ごく最初の方を読んだだけだが、意味的な分析がかなりなおざりにされたまま、結構荒っぽく形式論理だけで推し進められているような印象を受ける。ただ、目次や全体をぱらっとめくってみた範囲で、いい線を行っていると思える見出しも幾つかみつかるし、挿図も多く、著者専門の解剖学的知識をわかりやすく説明してくれる箇所もありそうなので、最後まで読んでみたい。


別ブログ「意味の周辺」と「発見の発見」に掲載した記事のアクセスが少ないので少々がっかりしている。


こんなブログ記事などを書いて公表することなど賢明なことではない、と思うこともないではない。しかしこのような駄文を無性に書きたくなることがあるのは事実で、それはそれで楽しいことでもあり、一種のカタルシスでもあり、好意的に読んでくれる人たちもあるかもしれず、読むことを押し付けない限り、当方の恥さらしになる可能性はあっても、少なくとも迷惑になることもないわけだから、気楽に続けてゆくしかないだろう。
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